「伊賀越え」について
2011.09.08(Thu)
一般的には、伊賀越え(いがごえ)は、畿内より東国へ行く際に伊賀国(伊賀市)を経由して行くことを指します。
この言葉の由来をご存知でしょうか?
天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変に際し、徳川家康が明智光秀の軍や混乱に乗じた落武者狩りなどとの遭遇を回避するために、堺(大阪府堺市)見物後の滞在先であった河内国四条畷から本多忠勝らわずかの供回りを連れて山城国宇治田原、近江国甲賀の小川城に辿り着いた。
その後、天正伊賀の乱の地・伊賀国の険しい山道を経て加太峠を越え、伊勢国津(三重県津市)又は伊勢国白子(三重県鈴鹿市)又は伊勢国浜村(三重県四日市市)の何れかから海路で領国の三河国大浜(愛知県碧南市)へ戻り、岡崎城へ帰還した。
当時家康に同道していた供廻はわずか34人で、以下の武将・小姓たちである。
本多忠勝、井伊直政、榊原康政、酒井忠次、石川数正、本多正盛、石川康通、服部正成、高木広正、大久保忠隣、菅沼定政、久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、牧野康成、三宅正次、高力清長、大久保忠佐、渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、多田三吉、花井吉高、鳥居おます、内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、永井直勝、永田瀬兵衛、松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎
徳川四天王をはじめとする徳川家の重鎮が揃っており、光秀の配下や一揆等に襲われていたら徳川家への大打撃は必至であった。家康は本能寺の変の報に際して取り乱し、信仰する浄土宗の総本山である知恩院へ入って追腹を切ると主張した。しかし本多忠勝を始めとする部下たちに説得され、三河へ帰ることを決意した。この時懇意にしていた商人である茶屋四郎次郎が先に立ち、行く先々で持参した銀子を渡しトラブルを避けた。服部正成の功も大であった。
家康主従には穴山信君と信長から堺案内の為に付けられた長谷川秀一、西尾吉次も同行していたが、梅雪は相楽郡山田から別の道をとることになった。『三河物語』によれば家康主従に金品を奪われることを恐れたためであるという。しかし山城国綴喜郡草内村あたりで土民たちに討ち取られてしまい、明暗を分けた。一説によれば、家康と間違われたため討たれたという。
(以上、wikipedia「神君、伊賀越」より)
この時、徳川家康が自領へ逃げ帰ることをよしとせず、もし生き延びることができなければ、江戸幕府も成立せず、日本の歴史も随分と違うものになっていたでしょう。
この言葉の由来をご存知でしょうか?
天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変に際し、徳川家康が明智光秀の軍や混乱に乗じた落武者狩りなどとの遭遇を回避するために、堺(大阪府堺市)見物後の滞在先であった河内国四条畷から本多忠勝らわずかの供回りを連れて山城国宇治田原、近江国甲賀の小川城に辿り着いた。
その後、天正伊賀の乱の地・伊賀国の険しい山道を経て加太峠を越え、伊勢国津(三重県津市)又は伊勢国白子(三重県鈴鹿市)又は伊勢国浜村(三重県四日市市)の何れかから海路で領国の三河国大浜(愛知県碧南市)へ戻り、岡崎城へ帰還した。
当時家康に同道していた供廻はわずか34人で、以下の武将・小姓たちである。
本多忠勝、井伊直政、榊原康政、酒井忠次、石川数正、本多正盛、石川康通、服部正成、高木広正、大久保忠隣、菅沼定政、久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、牧野康成、三宅正次、高力清長、大久保忠佐、渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、多田三吉、花井吉高、鳥居おます、内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、永井直勝、永田瀬兵衛、松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎
徳川四天王をはじめとする徳川家の重鎮が揃っており、光秀の配下や一揆等に襲われていたら徳川家への大打撃は必至であった。家康は本能寺の変の報に際して取り乱し、信仰する浄土宗の総本山である知恩院へ入って追腹を切ると主張した。しかし本多忠勝を始めとする部下たちに説得され、三河へ帰ることを決意した。この時懇意にしていた商人である茶屋四郎次郎が先に立ち、行く先々で持参した銀子を渡しトラブルを避けた。服部正成の功も大であった。
家康主従には穴山信君と信長から堺案内の為に付けられた長谷川秀一、西尾吉次も同行していたが、梅雪は相楽郡山田から別の道をとることになった。『三河物語』によれば家康主従に金品を奪われることを恐れたためであるという。しかし山城国綴喜郡草内村あたりで土民たちに討ち取られてしまい、明暗を分けた。一説によれば、家康と間違われたため討たれたという。
(以上、wikipedia「神君、伊賀越」より)
この時、徳川家康が自領へ逃げ帰ることをよしとせず、もし生き延びることができなければ、江戸幕府も成立せず、日本の歴史も随分と違うものになっていたでしょう。
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