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[都市伝説] -松尾芭蕉は忍者だった・・?-

伊賀市役所-松尾芭蕉像
[伊賀市役所-松尾芭蕉像]

松尾芭蕉は、忍者だった・・?
以下、あくまでも都市伝説ですが・・。

皆さん知っている童話『かごめかごめ』
どうやって日本全国に広まったのでしょうか?
新聞やテレビなどメディアなどなく、関所で人の行き来が制限されている時代です。
 
その鍵を握るのが松尾芭蕉だとの説。
 
この時代、徳川家康が天下を取り、日本に初めて『特殊部隊』を作り、今世界で有名なアメリカのSWATのもとになった。
『忍者』とよばれる『暗殺部隊』を設置し、忍者の養成機関も作りその長に、『服部半蔵』を務めさせたという。

その功績を称え半蔵に与えられた土地名が今も残り、『半蔵門』と言う駅・『半蔵門線』と言う東京メトロの路線名があります。

そんな半蔵の功績に徳川家から褒美が与えられることになり、半蔵は「私を自由にしてほしい」と頼み、願いがかない自由となり日本中を旅をし、徳川家から『松尾芭蕉』の名をもらった、・・とういう話です。

当時、関所を越え違う土地に行く事を自由には出来ないが、旅をして『奥の細道』としていろいろな場所に足跡を残して、あそこまで好きなように行き来できるのは権力のお墨付きがあったから出来た事だそうな・・。

しかし道など整備されていなく、山越えなんて大変すぎるが、『奥細』の記述では1日数十キロ単位で移動している。
しかし当時46歳でその移動距離は無理がある。

『伊賀上野』出身で、特殊訓練を受けた「忍」である芭蕉だから出来たという説です。

芭蕉は俳句を作るために、『奥細』の旅に出たわけじゃなく、旅をしながら『かごめかごめ』の歌を全国に広めて、埋蔵金、すなわち財力があることを各地の大名に示し反乱をしても無駄だと思わせるため、各地にヒントをまきながらの圧力をかけるために、『かごめかごめ』を日本全国で歌い続けた、・・という話です。

あくまでも、説話にすぎませんが、結構リアルな話です。
皆さん。どう思います?

[松尾芭蕉生家]
松尾芭蕉生家

[松尾芭蕉]
芭蕉翁は正保元年(1644)、現伊賀市で生まれました。幼少より藤堂藩伊賀付の侍大将藤堂新七郎家に仕えて当主蝉吟(せんぎん)とともに俳諧を学びましたが、蝉吟の没後、奉公を辞めました。その後江戸に出て俳諧師となり、37歳のとき『桃青門弟独吟二十歌仙』を発刊、俳壇における地位を確立、遂に蕉風俳諧の祖と仰がれる新規の俳風をうちたてましたが、元禄7年(1694)10月12日51歳のとき旅先の大阪でその生涯を閉じました。

服部半蔵が松尾芭蕉だ 真意は?

忍者 -Wikipedia [松尾芭蕉=?忍者]

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